魂込めた!
私の“日本のニョッキ”
必ずイタリアに逆輸入する!
~ “日本のニョッキ” 誕生物語~
あの劇団四季の『キャッツ』が
“日本のニョッキ”を生んだ!
そもそも自分は包丁すら持ったことがない、
また料理とは無縁のバリバリのホテルマンでした。
つまり、料理づくりではなく接客のプロだったのです。
しかし、今ではおそらく世界でひとつしかないニョッキ専門店のPaPaになっています。
また、イタリアのニョッキではなく、“日本のニョッキ”というブランドを創造したという自負もあります。
でもなぜ、“日本のニョッキ”などという境地に私は達したのでしょう。
とにかく、不思議でなりません。
しかし、今改めて振り返ってみると、、
実はそのきっかけとなったのは、、、
あの劇団四季さんの『キャッツ』だったのです。
話しは2002年位に遡りますが、その当時この店は「お箸で食べる西洋食堂」というコンセプトで、主にフレンチをベースに営業していました。
そもそも洋食が好きだったということ、そしてもっと気軽に入れる洋食屋があったらいいな、という思いから「お箸で食べる西洋食堂」の看板を掲げたわけです。
また、「サラリーマンは卒業!」と思う出来事があった時期とも重なったので、PaPaという店をオープンすることができたんだと思います。
私は当初オーナーシェフというスタンスではなかった、、、
ホテルマンを辞めて、その後イタリアンの料理を学びにいくのですが、
その時はじめて真剣に包丁を握る経験をするのです。
笑える話しですが、これは本当のことです。
では、料理はどうしていたのかと言うと、、、
ホテル時代の部下、フレンチの料理人を雇うことにしました。
つまり、私はオーナーというスタンスだったのです。
ということで、「お箸で食べる西洋食堂PaPa」は開店当初はフレンチ中心のレストランでした。
さて、そんな形でスタートしたPaPaなのですが、、、
開店してしばらくたった頃、あるとんでもない出来事が起こりました。
それは、、、
あの劇団四季靜岡公演『キャッツ』のロングランが静岡市民文化会館で行われる事になったことです。
なぜ、とんでもないかと言いますと、、、
『キャッツ』様のおかげで、
お店の中は沢山の注文が飛び交い、オーダー表が山積みになったりして、
てんやわんやになってしまったのです。
つまり、お店が大繁盛するようになったのです。
とても大変でしたが、私たち夫婦にとってはとても嬉しい悲鳴でもありました。
また、劇団四季のメンバーも来店下さるようになりました。
しかし、、、そんな中、、、またあるとんでもない出来事が起こるのです。
当時雇っていた料理人が突然出勤しなくなったのです。
『キャッツ』様の圧倒的な集客効果で、料理人も多忙を極めてしまい、そのキャパを超えてしまったのが原因だったんだと思います。
結局残ったのは、僕と、そして妻の二人だけでした。
しかし、今思えばこの瞬間が私たち夫婦で作り上げる“日本のニョッキ”の原点だったのです。
このように劇団四季『キャッツ』効果が“日本のニョッキ”誕生のきっかけとなってくれたのです。
フレンチでもないイタリアンでもない和食の親方が、私を
“日本のニョッキ”に導いてくれた。
さて、嬉しい悲鳴だったのが一転し、料理人がいなくなってしまい、
今度は不安で悲鳴をあげる事になってしまいました。
そんな状態の中、どうしようか??
「少しの間、店を閉じて状態を整えてから再開しよう」と思っていました。
当然といえば当然のことだと思います。
そして、そんな思いを近所で可愛がってくれていた和食の親方に泣きつく思いで話してみたのです。
「絶対閉めちゃあかんで!」
「一品でもいいから出しなはれ!」
私たちに返ってきた言葉です。
この言葉が私たちの心に火をつけてくれました。
そして、私が本当の意味で、独り立ちする決意を固めさせてくれた言葉でもあったのです。
他をあてにせず、自分をあてにする、そんなことに気づかせてもらった瞬間です。
なぜ、ニョッキなのか、、、
このように開店当時、私たちのまわりで本当にいろんな事件が起こるのですが、
そんな中、なぜ私はニョッキを選んだんだろう。
なぜニョッキを作ろうとしたんだろう。
確かに他の店でやっていないメニューだというのもあります。
何か目新しいイタリアンみたいなところに、惹かれたのもあります。
しかし、他にもっと自分と繋がる何かを感じています。
それは、、、
「自分一人がいれば大丈夫」
というある意味人生観みたいなものです。
そんなシンプルなところがニョッキと繋がっているのかもしれません。
生パスタもお店の看板メニューではあったのですが、
生パスタをつくるには、イタリア製の機械を使う必要があります。
つまり、機械が壊れたら生パスタは作ることができません。
機械をあてにしなければなりません。
しかし、ニョッキは自分一人いさえすれば、いつでもどこでも作れるのです。
なぜなら、機械を使う必要がないからです。
機械をあてにする必要がありません。
もしくは機械で作ることができないからです。
自分一人いれば、どんな時でも、どんな場所でも作れるのです。
つまり材料は、、、
「ジャガイモ、粉、オレ」でOKなのです。
めちゃくちゃシンプルです。
多彩なフレンチのメニューから始まり、そしてイタリアン、さらにメニューを削ぎ落としニョッキ専門店に、そしてついに行き着いたのがシンプルな“日本のニョッキ”。
この流れは決して偶然ではなく、「自分一人いれば大丈夫!」というシンプルな人生観に自分がたどり着くプロセスと一致しているように思います。
独眼竜伊達政宗系の子孫が“日本のニョッキ”として拡散。
ニョッキは古代ローマ時代からあった料理だということですが、
古代ローマといえば紀元前の話しです。
ですから二千数百年も前からあった料理ということになります。
そんなとんでもない歴史を持つニョッキが、
現代においてこの私が“日本のニョッキ”として世界に拡散しようとしています。
ちなみに私、大條 敏は伊達政宗の弟の子孫になります。
冗談ではなく、本当の話しです。
世界帝国にまでなった古代ローマのニョッキを、
独眼竜という名を馳せた武士伊達政宗系の子孫であるこの私が、
“日本のニョッキ”として世界に拡散している。
そして、実際伊達正宗公はローマに少年使節団を送っているのです。
そんな風に考えると、なんとも不思議で奇妙な感じがするのですが、何かワクワク感もあふれてきます。
このことと関係しているかどうかは分かりませんが、
時々妻が私にかける言葉があります。
「ニョッキの申し子?!」
もしかしたら、本当にそうなのかもしれません(笑)
独学流“日本のニョッキ”誕生、、、
実は私は一度もニョッキ作りを習ったことがありません。
また、レシピも知りませんでした。
イタリアンのレストランに修行に行っている時、
そこの料理長が作っているのを一度みただけです。
では、どうやって今のメニューが創作できたのか、
実は“秘密のレシピ”というものがあります。
どんなレシピなのかといいますと、それは“舌”のレシピです。
それも2つの“舌”を融合したレシピです。
そうです、私と妻の“舌”がレシピなのです。
ちなみに“舌”とは味覚のことです。
あしからず、、(笑)
独学ですから、私のイメージ力と創造力、そして舌の力をあてにするしかありません。
それを信じて、これまでに色んなニョッキに挑戦しています。
しかし、挑戦したニョッキがすぐにお客様のテーブルの上に並ぶわけではありません。
妻の“舌”そして子供達の“舌”から、Go!サインが出ない限りメニューには加わりません。
それも、、
「まあいいんじゃないの、、」といった反応ではなく、
また言葉で表現される程度のものでもなく、
無言で「もくもくとモグモグモグモグ」最後まで飽きることなく食らいつく(笑)、
そんな妻と子供達の姿がGO!!サインなのです。
ですから、決して1ミリも手抜きができないのです。
彼らの反応(舌)は非情なほど正直なのです(笑)
つまり、私が今お客様に出しているすべてのメニューは、
そんな彼らの真っ正直な舌と、私の舌がGO!を出した逸品だと思っています。
私にはいわゆる学歴のような“文字”で示されるキャリアはありません。
しかし、私には家族達そしてお客様の真っ正直な舌に支えられた、
誰にも絶対真似出来ない“独学”というキャリアがあります。
そして、、、
誰かを師とする。
誰かの真似をする。
海外で修行を積む。
このようなことは、今では必要ないとさえ思っています。
なぜなら、そういったものがあったとしたら、
本当の意味で“独学流”と言えないからです。
私のニョッキは、誰のマネでもない、粉の選び方から、こね方から、ブレンドの仕方、カットの仕方、100%自分の感覚がすべてなのです。
私の魂が100%入ったニョッキなのだと思っています。
季節のニョッキ誕生!!
このように私のニョッキは100%独学です。
独学ですから、なんの制限も制約もありません。
つまり、自由自在にニョッキを創作してしまうことができます。
師匠、しきたり、流派、などいったものは一切ありませんから、
発想も作り方にも囚われがありません。
そんなところが、他のお店とはかなり違ったところではないかと思います。
私は、職人は“作りっぱなし”なのではと思うことがあります。
つまり、作るだけでいい。
相手がどうだろうと自分が習ったものをひたすら出せばいい。
お客様の舌、家族の舌、友人の舌、は関係ない。
このように考えると私は根っからの職人ではないようです。
ただ料理を作って出すだけでは何かつまらないのです。
接客することが大好きなんだと思います。
だから、私の作ったニョッキを食べて、
お客様がどんな反応をするのかが気になって仕方ありません。
もちろん私の家族達の非情な舌もGO!!を出しているのですが、
お客様の舌もとても気になるのです。
お客様がニョッキを口に入れて、
なんともいえない幸せな表情になるのを、
厨房から秘かに眺める事に喜びを感じる今日この頃です(笑)
さて、そんな私にあるときインスピレーションが降りてきました。
それは、、、
「日本のニョッキを作ろう!」
「日本人の繊細な味覚を生かした日本のニョッキを作ろう!」
「日本の四季折々の旬の材料を生かして日本のニョッキを作ろう!」
「五感すべてに響く純粋な日本のニョッキを作ろう!」
といったものです。
そんな中、試行錯誤を繰り返し、ついに生まれたのがPaPaの大人気メニューとなった『季節のニョッキ』です。
四季ごとにその季節特有の材料を使用した、まさしく独学流ニョッキです。
独眼流、、独学流、、何かここにも繋がりがあるんでしょうか(笑)
四季といえば、そう!ニョッキ専門店をやるきっかけとなった、
あの『キャッツ』劇団四季さんの四季と繋がっているんですね。
何かこれも不思議なご縁を感じます。
季節のニョッキはこれまでに、、、
「よもぎニョッキ」「葉しょうがニョッキ」「ずんだニョッキ」「里芋ニョッキ」
「桜ニョッキ」「桜えびニョッキ」「棚田米ニョッキ」「ゆずニョッキ」など地元静岡の旬の材料を生かした独自のニョッキを作ってきています。
こだわりは、その素材だけを素直に生かすことです。
色々な食材を混ぜ合わせることはしません。
静岡“磐田産の海老芋”なら、“磐田産の海老芋”の風味を、
そのまま素直に出すようにしています。
とにかくシンプル、そして自然のまま。
つまり、これが私の“日本のニョッキ”なのです。
和食に通じる、繊細な味覚、食感、微細な香り、
口の中で微かにしかし確かに広がる四季の味。
人間の五感に響く風味。
そんなところが季節のニョッキの“和”のこだわりであり、
これが“日本のニョッキ”の真髄です。
“独学流”の本領発揮と言えるでしょう。
今でこそ、はっきり自信を持って言えることですが、
“イタリアのニョッキ”とはまったく次元が違う、
“日本のニョッキ”がここPaPaにはあります。
是非、多くの方にイタリアではない、
この“日本のニョッキ”を味わっていただきたいと心底思います。
ちなみに“日本のニョッキ”の中で特に僕がこだわるのは、やはり、、、
「桜ニョッキ」です。
日本と言えば桜。桜と言えば日本。
まさしく日本を代表する花です。
それをニョッキという形にしてみました。
花をニョッキにする。
それも桜を。
イタリアンではありえない発想だと思います。
桜のあのほのかな香り、風味、優しさ、そんな微かなものがニョッキの中に表現されているのではないかと思います。
季節のニョッキの中でも、とても人気があるものです。
また、「棚田米ニョッキ」にはとても印象深い思い出があります。
それは、日本の伝統的な農法である棚田で作られたお米をニョッキにしたことです。
当時、棚田で作られたお米の存在はとても貴重でした
ある時、棚田を大切に保存している菊川市の生産者から、メンバー同士の繋がりを深める食事会のご予約を頂きました。
一年通して作り上げた思いをニョッキ専門店しか出来ない料理でおもてなし したくお米の存在を活かしつつニョッキに練り込みました。
これも桜同様日本に絶対欠かせないお米がテーマとなったニョッキでした。
正真正銘“日本のニョッキ”でした。
生産者さんの想いがしっかりと入ったお米。
それを材料にして出来上がったニョッキは感動ものでした。
このように私たちのニョッキには、
ひとつひとつのニョッキが誕生するまでの物語が一杯詰まっています。
“日本のニョッキ”
これからも世界に発信しつづけるつもりです。
“日本のニョッキ”をイタリアに逆輸入する!
2002年にオープンした「PaPa」。
フレンチに始まり、次はイタリアン、さらに世界に一つしかないニョッキ専門店、
そして遂に行き着いたところは“日本のニョッキ”という境地。
しかし、この境地が私たちの最終ゴールではありません。
私には夢があります。
それは、、、
「私が独学で造り上げた“日本のニョッキ”をイタリアに逆輸入させること!」です。
そして、、、
イタリア人が欲しがる“日本のニョッキ”を創作し続けることです。
最後に多くの方に伝えたいことがあります。
それは、、、
「はじめてニョッキを食べるなら、絶対私達のニョッキを食べて欲しい!!」
私たちをこれまで支えて下さったすべての方に心から感謝致します。
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経済産業省創設
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登録番号第02067000号
ニョッキのお店PaPa